アルバニア
私たちがリスのマルシェへ「仕事」に行くようになったのは、それから何日あとのことなのだろう。
野菜売りばかりがならんでいた少し傾斜したところで、雨のあとの冷たい日、私が野菜を拾っていると、アルバニアのおじさんがまわりに風が吹きすさんでいるような感じで、ふらふら降りてきた。
美しいひとだと思い、彼はおちぶれたイタリアの貴族なのではないかと思った。彼が話すフランス語には少しあくどいなまりがあったので、私のなかでは彼はイタリアから来たのだと思っていた。
力なく、病みあがりのようで、顔や手のしわのすべてにどす黒い垢がたまっている感じだった。彼は黒っぽいよれよれのジャケットとズボンをつけて、白いシャツをだらしなく着、ぼろぼろのビニールをさげて、寒々とした感じで、小さなじゃがいもをひとつ、トマトをひとつ、というふうに拾いあげてゆく。私のようにかきあつめて根こそぎとっていく、というようなのとはちがうのだ。
あいさつを交わし、握手しあうようになってからは、トマトのきれいなのをひとつくれたりする。
冬のおわりか春のはじめ、「仕事」を始める前、マルシェの石段に彼がすわっていたので、私たちも行くと、彼はその病みつかれたふうの指で煙草を巻き、T・・に手渡し、「アルバニアの煙草だ」と言った。
アルバニアからきたのかとたずねると彼は何か言ったが、私たちのフランス語は彼にはわからず、彼のフランス語は私たちにはよくわからないのだった。
夏近く、私たちが学校へは行かないようになり、水曜のマルシェにも、「仕事」に行きはじめると、ムッシューもいつも来ていたことがわかった。それからモロッコ人の家族や、少し頭のおかしいフランス人の女性もみなズタ袋をさげて来ているのだった。
このマルシェで、土曜もよくみかける修道女のような女性がアルバニアのおじさんの夫人なのだと知った。いつも同じ紺色の、学校の先生のような服装で、ストイックな感じがし、やさしく微笑む女の人だった。夏にはおじさんの方は動きたくないのか、公園にしゃがんで煙草をふかし、「仕事」をする夫人を待っていた。
それから秋が来て、冬へ移り変わろうとする頃、私たちは去った。
私はいまでも二人の美しさを思い出す。
戦争が始まり、思いがけず、私は毎日、「秘密の国」の民族、アルバニア人をテレビの画面でみることになった。