Cinema

すぐれた作品というものは、期待してみに行っても、意外に地味で「ああ、こんなものか」と思うものだ。
ところがその軽い印象が徐々に徐々に重くなっていゆき、やはり忘れられなくなって、またみに行くということになる、そんなことが多い。

マリアンヌ・フェイスフル主演の「やわらかい手」がそういう一作であった。
この映画のひとつの特徴として、ヘボ役者がひとりもいないというところがある。マリアンヌ・フェイスフルから子役まで、すきひとつみせない。
だからといって、彼らが演じていない(そのままの自分である)というわけではない。マリアンヌの表情には奥深いものがあり、目の動き、つよさ、それだけであふれるような表情になる。
一種、ジャン・リュイ・トランティニョンに近い演技である。完ペキにつくっている。すぐれた役者がそろっている中に、一人でも、ヘボ役者がいると、そいつが悪目立ちし、芝居に波が立ってしまう。
波を立たせることでおもしろい芝居をつくってしまう監督や演出もいるけれども、多く、すぐれた作品というのは波が立たず、その色もわからず、裏仕事(音効とか照明とか)も役者の演技と一緒に透明感のあるものをつくっているものだ。

 

気に入った映画は必ず2回はみる。
一度は、ただみる。
二度目は分析する。
二度目をするには、一度目が、これが透明感のある作品であることが必須である。
「やわらかい手」には親子、カップル、恋愛、さまざまなものが描かれているが、決して波立つことはない。
色がない。あるとすればグレーだ。
マリアンヌのスカートの色と同じグレー。