マリリン・モンローは亡くなる少しまえ、生まれてはじめての家を買った。
その家は平屋建てで、引っこして間もないということもあるが、極端に家具が少なかった。
リビングルームはさつばつとして、花が活けてあるとか、よく西洋人がするように家族の写真がいっぱいかざってあるとか( 彼女に肉親がいたのか疑わしいが )いうことはない。ただ質素な木のテーブルとイスがあるきりだ。
マリリンが実際に亡くなっていた寝室も散らかっていて、つみかさねられた雑誌や本のうえにポンとバッグがあるだけ。西洋人はちらかしながらインテリアをおしゃれにみせるのが上手だが、その部屋はそういうわけでもないのだった。
ただ孤立感に充ちあふれ、さつばつとして、荒涼とした風景だ。
なぜなのだろう。
買ったばかりの家ならば、人はうれしくていろんな新しい家具や雑誌を買い足したり、花をあふれんばかりにかざったり、絵も壁にかけたりするだろう。
マリリン・モンローにはそれができなかったのだ、と思った。
家政婦もいたのだし、そうしてもらおうと思えばいくらでも暖かな家にしてもらえたはずなのに彼女はそれに思いつかなかったのだ。
幼い頃から11~12軒の家に里子に出され、孤児院にも入れられた彼女が、いかにスクリーンのうえで輝いていても、心地よい家をつくる能力に欠けていた、というか思いおよばなかったであろうことは想像にかたくない。

できなかったのではなく思いつかなかったのだろう。
だからマリリンの幼児時代へと思いをはせてみると、あまりにも哀れでかなしい気がする。ほんとうのまずしさがせきりょう感の波となって私をおそってくる。