KLAUS NOMI

スウィンギング・ロンドンや、芸術、政治におけるあたらしい試みがはなひらいた60年代、そして70年代がやってきました。めだたなくても、すばらしいバンドが70年代にはたくさんありました。

しかし77年、パンク・ムーヴメントがおわるまでの音楽は、60年代のなにかしらの内省のようなものをかかえていたのかも知れません。77年のパンク・ムーヴメントは音楽界の裏側であったということができると思います。その表側に存在していたのは、もちろんディスコ・ヒットです。


クラウス・ノミは1980年にエイズによってこの世から連れ去られました。日本のTDKのテープのCMに、白ぬり、髪は彼の死後あらわれた、パンクの進化形ハードコアのようなヘアスタイルで出演していたこともあります。
ニナ・ハーゲンとおなじくオペラをまなんでいた彼の声は透きとおるように美しく、音楽には感動的な深みがあります。
コールド・ソングはとてもしずけさにみちた曲ですが、そのあまりにもしずけさの奥に、逆に、過激さも感じないではいられません。まるでクラシックの音楽のようにもきこえるこの曲ですが、アルバムのなかではまさに警戒にロックしている様子もみえます。

1980年に、たしかにあらわれたひとつの音楽のかたちというのは、パンク・ムーヴメントに大きく影響されたのではないでしょうか。
それは音楽が、とか、音楽のスタイルが、とかいうことにとどまらず、パンクがあったのだから、どんな表現も可能になりうるのだというスピリットの変化でもあったのでしょう。
ドイツ3大音楽特集のしめくくりとして、クラウス・ノミのしずかな “コールド・ソング ” は2010年代以降の音楽にさえ、しっかりと影響をあたえるような曲であることを感じます。クラウス・ノミこそほんとうのパンクだったといえるかも知れません。


KLAUS NOMI
Cold Song

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