Johnny Thunders and The Heartbreakers

ジョニー・サンダース=パンク。
ジョニーはほんとうに、パンクとして存在していました。
音楽活動のはじまりは、70年代初頭、グラムロック、そして Personality Crisis などのヒット曲で知られるニューヨーク・ドールズのギタリストとしてでした。本人も、ニューヨークのブロンクス育ちです。

ライブフィルムをみると、ジョニー・サンダース・アンド・ザ・ハートブレイカーズのメンバーたちが、酒とヘロインにおぼれるジョニーを支えている感じがします。

Johnny Thunders à Paris

HURT ME
SO
ALONE

ミュージックビデオ” hurt me” のなかで、ジョニー・サンダースがパリをおとずれている。
サンダースは、フランス語はまったくしゃべれない。

そのサンダースがタバコを買おうとしてフランス女に声をかける。
タバコを売っているところをきいて、紙巻きタバコはフランス語ではなんというのか、と彼はたずねる。

タバに入って、サンダースは女にいわれたとおり、「パピエ・ア・ルレ」をくれという。
でもタバのおっさんにはそれが「カフェ・オ・レ」にきこえたらしい。
サンダースはちょっと困って頭をかき、いきなり「ラッキー・ストライクス・ノー・フィルター」と英語でいう。

そのあとべつのカフェでフランス紳士と話す。
「パリは危険かい?」
「パリは危険だけど、あんたはニューヨークに行ったことないの?」
紳士はワイングラスをさして、「これがあるからね」と暗に示す。
ジョニーはカクテルで乾杯する。

どこかさびしげだが、サンダースは決まっている。

ジョニー・サンダースのソロでのアコースティックライヴは、ジョニーがその気になるまで、客は二時間半、延々と待たされ、バラの模様の派手なシャツのジョニーが登場、酔っ払いのライヴは30分で終了しました。日本にはたびたびおとずれています。
弱さをさらけ出し、メンバーにもファンにもたすけ起こされながら、ジョニーはパンクであること、ロックであることを生きました。

1991年春、その人生を完了したジョニー。
弱くたっていいじゃないか。
苦しかったかも知れない。バイ・バイ・ジョニー。

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