Unknown Pleasures

ジョイ・ディヴィジョンが出てきたのは1977年のロンドンにおけるパンク・ムーブメントの終わり頃である。
彼らは Vo.のイアンの自死によってみじかいキャリアを終えてしまったが、そのアルバムはあまりの暗いイメージとトーンによって聴きづらく決してメジャーになる音ではなかった。

しかし今この「アンノウン・プレジャーズ」というアルバムをきいているとき、それがいかにあのイギリスの時代背景 (ノー・フューチャー) のなかで、思うかぎりのびのびと表現行為をおこなっているものかと思う。
軽薄な気さえするパーカッションに強力なベースギター、それらはどこまでもどこまでも旋回しながら堕ちていく音楽の強力なエネルギーである。そしてなによりも印象的なのはそれだけつよい音を炸裂させながら、どこかとても空疎で無意味でなんだか唖然とさせられてしまうようなある種の空気である。それはどんなにノイズに近い音であろうと、ジョイ・ディヴィジョンの音楽のなかにいつでも存在するものであり、悲しさでもなく、苦しさでもなく、虚しさが酷明にあらわれている。

She’s Lost Control

パンク以降、さまざまなスタイルを持ったバンドがあらわれた。ニューウェイブの誕生である。それはある意味では自由な表現をゆるされた時期だったともいえる。
そんな時期にジョイ・ディヴィジョンはたった2枚のアルバムをのこして去っていかざるをえなかった。
今、一部の人しかこのバンドについて語らない。しかしこのバンドはその後にでてきた多くのミュージシャンにどれほどの影響をあたえたことだろう。

2007年の映画 Control『コントロール』は名作だ。イアン・カーティスとメンバーたち、恋愛、いかさま師だが必死になってバンドに手をつくすマネージャーなどの姿が描かれている。理解されるには時間のかかるバンドだが、一度この音楽に身を浸す快感、安心感を知ると、とりつかれる。

イアン亡き後、ジョイ・ディヴィジョンは他のメンバーたちによって、ニュー・オーダーへと変化していった。よりエモーショナルになったといわれるが、このふたつのバンド、本質はやはり同じである。

1996年ごろ、ヨーロッパでイアンの妻が書いた Touching from a Distance が発行され、飛ぶような売れ行きだった。やっぱりおぼえていたんだな。

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