THROBBING GRISTLE Hamburger Lady discipline united
スロッビング・グリッスル ハンバーガー・レディ
ノイズは静かだ。
なぜこのように、からだになじむのだろう。
スロッビング・グリッスルは、ノイズを追求するミュージシャンのなかでは、むしろメジャーである。
ノイズは、音そのものをさがしてゆくバンドと、ノイズミュージックを求めるバンドとにわかれるといわれるが、スロッビング・グリッスルは後者の方だといえる。
ノイズは静かだ。
なぜこのように、からだになじむのだろう。
スロッビング・グリッスルは、ノイズを追求するミュージシャンのなかでは、むしろメジャーである。
ノイズは、音そのものをさがしてゆくバンドと、ノイズミュージックを求めるバンドとにわかれるといわれるが、スロッビング・グリッスルは後者の方だといえる。
ノイズについて考えるとき、ある本で知ったエピソードを思い出さずにはいられない。1920年代、その後 名監督となったアルフレッド・ヒッチコックは、まだ小さな映画をつくっていた。そのなかで、今ではほとんど観ることはできないが、1929年、恐喝(ゆすり) Blackmail という作品のなかで、正当防衛でありながら、ナイフで人を殺してしまった女性が出てくる。彼女は罪の意識にとらわれているので、朝食の席で、家族が「ナイフをとって」とか、「パンを切るからナイフを」といった会話にびくびくする。このとき、ヒッチコックは1920年代でありながら、朝食の席にいる人々の会話の音声を低くし、ただナイフという単語を浮き立たせている。
これは音響効果ともいえるが、ノイズというものの真髄ともいえるだろう。
このヒッチコックの音響効果の手法は、ノイズという、音そのものにかえってゆく、その考え方をすでに1920年代に理解していたといえるだろう。
このように、ノイズという音楽は、音楽にきこえないほど音そのものをもとめ、しかしよく聴いてみれば、この一音一音こそが、音楽なのではないかと考えさせられるものである。
スロッビング・グリッスルのハンバーガー・レディ、ディシプリン、ユナイテッドなどの名曲は、そのシンプルなビートのくりかえしが、妙に心音や血脈につうじるものがあり、メロディーも特にないのに、なぜか気もちよく感じられるものである。
ノイズ音楽は、1980年代頃、アートの動きとも密接につながった。ノイズはイギリス、ドイツ、アメリカ、そして日本(日本のボアダムスなどは、ニルヴァーナのカート・コバーンも熱心に聴いていたという)だけでなく世界中でこのような動きがあったといえる。旧ユーゴスラヴィアのスロヴェニアでも、ライバッハというすばらしいバンドが生まれている。またスロッビング・グリッスルのメンバー、コージー・ファニイ・トゥッティの、アートの分野での表現活動も印象深い。
スロッビング・グリッスルは1960年代の後半から、小さなライヴハウスであれ、熱狂的なファンをたくさんあつめていた。
そしてその熱烈な支持者は、今でも変わりなく存在する。スロッビング・グリッスルのビートをぜひからだで聴いてみては ・・・