Nina Hagen
ニナ・ハーゲン「アフリカン・レゲエ」
1980年は、銘記すべき年である、ロックにとって。
映画、アート、ドイツのロックが存在感を大きくみせてくれた年でもある。
1980年以前には、77~79年のロンドン・パンク・ムーブメントがあり、この動きがたった2年の輝きのあとのこしたものは、ひとつの大きな自由でもあった。
たとえばロンドン・パンク・ムーブメントの約2年後、音楽シーンにはパンクと似た表現があらわれた。グランジである。カート・コバーンというひとりの犠牲者、それはパンクのシド・ヴィシャスと重なる気がする。
しかし80年という年は、それまでのロック・シーンや生活スタイル、ものの考え方を軽く、ポップにしていった契機となる年でもある。シド・ヴィシャス亡きあと、パンク後には、音楽を追求してゆくうえで、それまでタブーとされていたり、しばられていたことが、自由に展開していった印象がある。その系譜のうえにグランジも存在するのだから、ロックはどこかでその節目をつけなければならないところがあるのかも知れない。
ニナ・ハーゲンは、1980年前後に大きな活躍をみせたが、旧東ドイツ出身で、のちに西側に亡命している。ロックには「かっこいい」という表現がいちばんぴったりくる気がするが、「アフリカン・レゲエ」もそんな一曲である。今でも逆立てた髪にガーターベルト、破れた網タイツ姿で、一つの国になったドイツのベルリン、旧東ドイツ風のカフェにたびたびおとずれるという。
クラウス・ノミ「コールド・ソング」
クラウス・ノミは、おそらくロックファン以外からは、彼の死をもってその存在を知られたのではないか。
けれど彼の容姿をみたら、その姿を強烈に記憶している人も多いと思う。1980年まで、日本のTDKのカセットテープのCMに全くメジャーに登場していた。白塗り、モヒカン、オペラの声で。そしてHIVウイルスにより、亡くなった。
クラウス・ノミの名曲はやはり「コールド・ソング」だろう。静かな、静かな、音楽である。
しかし同じアルバムでは、軽快にロックしていたりもする。
クラウス・ノミの「コールド・ソング」は、いまではカヴァーヴァージョンも誰かの手によって発表されている。
1980年は、彼が偉大な音楽をのこし、そしてこの世を去った年でもある。