パンク・ムーブメントは終焉したのか?
パンクときいただけで、あ、あのクズのやつらか、と思う方もいらっしゃるでしょう。たしかにパンクは英語で「ゴミ」という意味です。
1977年、ロンドンにおいて、パンク・ムーブメントは爆発しました。
しかしパンクというのは、もっと以前から、パティ・スミス、テレヴィジョン、ラモーンズ、ジョニー・サンダースのいたニューヨーク・ドールズなどによって、アメリカでくすぶり始めていたのであり、パティ・スミスはミュージシャンというより詩人です。また彼女のヒット曲にはアメリカの正義 ブルース・スプリングスティーンも関係しています。またパティ・スミスが、パリにあるジム・モリソンの墓を巡礼している(ペール・ラシェーズ墓地)写真も知られています。パティ・スミスはミュージシャンというより、一世代まえの失われた世代、そしてビートニクスの顔だったのです。
はじめてピストルズを聴いたT・レックスのマーク・ボランは手を打ち、「これだ!これなんだ!」と叫び声をあげました。演奏はしろうとのメチャメチャ、歌詞も汚い韻をふんでいる、やぶれかぶれでステージに登場する彼らに、彼ら以上に物騒な若者が罵声をあびせかけ応える。音楽を聴いていて、そのテクニック(楽器の)を気にする人は、本人がその楽器をやっていないかぎり、ほとんどありえない。そしてそのうまさだけに感動することはもっとありえない。ロックの場合は特に。
けれど彼らの曲、つまらないなあと思いながら聴き、そして生身をはがされた姿に共感ももつのです。
ピストルズはほんとうはファッション・デザイナー、ヴィヴィアン・ウェストウッドとその愛人、エセプロデューサーのマルコム・マクラレンによってつくられたバンドでした。ボロい服を着ていると自慢げに語っていたピストルズのメンバー、「ケツが破れたから安全ピンでとめたのさ」と話していましたが、実はヴィヴィアン・ウェストウッドのブランドものを着て、ロンドンの古式豊かな街並みを闊歩していたのです。ヴィヴィアンは最初、ロンドンの 430 King’s Road に「レット・イット・ロック」、次いで「Sex」、そして「ワールズ・エンド」などの個性的なブティックをつくり、のちにはモデルのナオミ・キャンベルがファッションショーのランウェイで転んでしまった、高すぎるハイヒール; ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館 Victoria and. Albert Museum に展示されている など、イギリスの歴史をふみながら、現在、そして未来を描き続けています。