Run away, turn away, run away, turn away, run away

ブロンスキ・ビート スモールタウン

この曲のプロモーション・ビデオは、自伝的で、心をうたれるものがあります。
イギリスのどこかの小さな町、この町で両親と暮らす少年は、しばしば町のプールへ出かけ、そこで肉体美を誇る男のおよぐ光景をながめています。この少年はこの男に恋心をいだいているのでしょうが、なにも行動には出さず、ただこの屈強な男のプールでの姿をみているだけでよかったのです。
けれどもこの男のほうが、少年の存在に気づきます。そして夕暮れの小さな町の街角で、集団でバイクでおそってきます。

警察が少年の家にやってきて、事実をきいた、いつも息子をなさけなく思っているらしい少年の父親は、彼に手をあげようとしますが、やさしいお巡りさんはその手をとめます。
結局、ジミー・ソマーヴィルそのものと思われるこの少年は小さな町を出ていかなければならなくなります。母親は泣き出し、父親は彼の手をにぎろうともしませんが、いくらかお金をわたします。少年、ジミー・ソマーヴィルは友人2人と共に、電車に乗って、ロンドン(と思われる)という大都会へと出ていきます。大都会の駅に降り立った3人には、すがすがしい表情がみられます。

大都会とは一見、クールでつめたく思えるが、実は生き物であり、来る者こばまず、すべてをのみこむ、そこでつらい思いやきびしい場処に立たされる者はいくらでもいても、去る者を追わないだけで、大都会はなに者も自らはじき出しはしない。そこでうまくいく人も、屈折していく人も、ぬるま湯のような妙なあたたかさうけとめられつづけるのです。

このビデオにあらわれる、ひとつひとつの小さな風景、そして人間のいくら屈折してもしきれない、複雑な感情、そういったものが、記憶に残ります。
ソマーヴィルはやさしいお巡りさんや、ほんとうはあたたかったかもしれない父親の手の感覚、しぐさをずっとおぼえていたからこそ、このようなきめこまかいビデオをつくれたのでしょう。

ブロンスキ・ビートの音楽はといえば、ソマーヴィルの高音のヴォーカル、そしてつきささるような激しいビートが特徴です。しかし80年代当時、この音楽がいくら新しい音楽だとカテゴライズされながらも、ブロンスキ・ビートの根底にあるのは、どこかアレサ・フランクリンなど、黒人女性シンガーのソウルフルな音楽です。
それはあたらしい楽器編成や、音質のちがい、それくらいしか変わらず、ブロンスキ・ビートはソウルそのものである、ということもいえます。

このプロモーション・ビデオでのジミー・ソマーヴィルの人間像、大都会へ出てくるまでの、うっ屈した生活、そして彼の高音を聴いていると、どこかはかなげな音楽を想像されるかも知れませんが、ブロンスキ・ビートのその暴力的ともいっていい、かわいたビート、そこからはこのバンドのベースにある、力強さ、タフさというのも感じらるのです。
のちにブロンスキ・ビートはコミュナーズというバンドへと変化していきます。けれどもいつでもソウルフルなバンドなのです。


RUNAWAY TURNAWAY

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