신촌블루스 /シンチョン・ブルース

韓国が高度経済発展のただなかにあったころ、若い人たちを中心にその魂、精神を支えたバンドがいた。
それが新村ブルースです。
新村という場所は、当時、若い人たちがあつまり、夢をいだき、きずついていった大都会ソウルのなかの、ある場所なのです。
1966年生まれのコリアンは、このバンドについてよく知っています。しかし2年早いか、2年おそいかだと、名まえすら知らないコリアンが多い。パソコンで検索しても、ほとんど情報がないのです。
新村ブルース(シンチョン・ブルース)は、この時代の若い人の心をとらえ、そして彼らが最も信じていたバンドではなかったでしょうか。

SHIN
CHON
BLUES

このバンドのいきさつについてはよくわかりませんが、アルバムは残っています。
1966年生まれのコリアンによると、ヴォーカルで、カリスマ的存在であった人物が酒で亡くなり、しばらく活動していませんでしたが、現在は東京でもしぶいライブをおこなっています。
彼らがみずから自分のバンドに名づけた、”ブルース”ということばは、アメリカやイギリスだけのものではなく、韓国の音楽であって、全くブルースとして存在している、そのことも、のちになって思えばブルースとは何かをよくあらわしているのです。
ブルースがなぜか人の心をつよくひきつける音楽であるということ、それはもしかしたら世界中変わらないかも知れないし、それならばどの言語でうたおうと、ブルースは流れてくるものなのでしょう。

最近のテレビ番組で、地方から大きな夢をいだいて、大都会、北京へやってきて、夢をみながら苦しみのなかをもがく若い人たちのことを知りました。
やはり夢というのはかなわないもの、お金もつきて、帰るところはどこにあるのだろう・・・ そんな思いでいる若い二人が、お酒をのみながら、流しになけなしの金を払い、うたをうたってもらいます。流しはギターをひきながら、中国語でうたいます。それが全くのブルースだったのです。

新村ブルースへの手がかりは、ベストアルバムを、ソウルでさがすことからはじまるでしょう。近しい方がソウルをたずねるというようなことがあれば、CDをおみやげに買ってきてもらう、それが今のところ、この神秘のヴェールにつつまれたバンドを知る、いちばんのきっかけと思われます。

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